Apollo Manroku

2010年以前に書いた記事の過去ログ

心のパン 2006年6月12日

Filed under: Spiritual — アポロ @ 19:45

元気がないときは、きっとおなかが減っているだけなんです。ご飯を食べれば元気が出てきますよ。

聖書にこんなお話があります。イエスは5つのパンを自分の手の中で増やし、おなかをすかせた5000人の人々に分け与えたといいます。無限増殖する不思議なパン……一見ありえない話ですが、私にはそれが事実だったかどうかを確かめるすべはありません。イエスは本当に奇跡を起こしたのかもしれません。信じていいとも思っています。あるいは、将来的には科学的な手段によって、わずかな質量の物質から、大量の物質を生み出す技術もできるかもしれません。昔、SF小説か何かでそのような話を読んだこともあります。人間の「量」に対する認識など、実はとてもいいかげんなものなのです。

私は聖書をほとんど読んだことはないしクリスチャンでもないので、このエピソードがどのような教訓を含んでいるのかは知りませんが、重要なのは、イエスが奇跡を起こしたということや、あるいは、科学的に可能かどうかということではないと思います。イエスが人々に食べ物を分け与えたという行為、あるいは、その気持ちこそが重要なのではないでしょうか。

目の前に食べ物がなくておなかをすかせている人がいたら、分け与えてあげましょう。食べ物がなくても大丈夫。その人がおなかをすかせているのは、元気がないからです。実は、こころが飢えているだけなのに、おなかがすいたと感じてしまうのです。人は、こころのパンさえあれば、生きていけます。

イエスが人々に分け与えたのは、もしかしたら、こころのパンだったのではないかと、そんなふうにも思います。こころのパン……私たちはそれを「言霊」とか「御言葉」という言葉で表現しています。きっと、人々を励ます力強い言葉や、愛情のこもった優しい言葉が、多くの人たちを元気付け、こころの空腹を満たしてくれていたに違いありません。言葉には、物質のような質量的な限界はありません。無限にあふれ出し、多くの人々に与えることができるのです。

食べ物の話はあくまで"たとえ"です。困っている人が目の前にいても、自分にできることは何もないと思ってあきらめるのではなくて、助けてあげたいと思う、その気持ちが大切なのでしょう。何もできなくてもいいのです。たとえ、言葉が届かなくとも、その人のために祈ることはできます。その気持ち、「こころ」こそが人を救い、世界を救う大きな力となるのです。

どうすればいいのかなんて、方法にこだわる必要はありません。

祈りましょう。

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6 Responses to “心のパン”

  1. アポロ Says:

    コメントをいただけるとうれしいですね。
    みなさんからのコメントが、私にとっては「心のパン」になります。
    いただきま~す。もぐもぐ。

  2. 敏彦 Says:

    アポロさん、訪問して下さり、またコメントを頂き、ありがとうございました。この5つのパンと2匹の魚の話しは、新約聖書に出て来る記事ですが、確かに人の心を満たすパンです。もう少し詳しくお話ししますと、このパンはイエス・キリストそのものを表しています。そのパンを食べるなら「永遠のいのち」を手に入れることが出来ますよというお話しなんです。アポロさんは聖書に詳しいので驚きました。ありがとうございました。

  3. Unknown Says:

    パンなどは制限があるけど、言葉は無限だというところに私の琴線が触れました…。当たり前だけど、言葉や思いやりは私にも無限にあるんだと改めて気づいた瞬間でした…。
    あと無償でこのようなことを教えてくださるアポロさんのような方はあまり側にいませんね。
    結局お金目的だっり、宗教の勧誘だったり…。
     
    ☆今日も心が洗われました~☆

  4. Unknown Says:

     ホント、心が愛で満たされているときって、人はおおらかになれますね。私自身がそうなので、きっと皆さんも
    自然に分け合いたい。。。とおもうのではないでないでしょうか?この5日間の私の日常はとてもエキサイティングです。ある日は、捨て猫ちゃんのお嫁入り探し。。。とあるときは、平常と違う、一般的に見たら成長の遅れた一才児の子守。。。自分にも、病気がちかな?と思われる息子君がいるのですが、最近彼は病気を脱したらしいので、過去になるかも知れませんが。。。。
     全てはその人の受け取り方、想い方次第。。。だと想うのです。
    イエスが5000人の人に食べ物を分け与えたのは、本当のことかもしれません。
    そして、その人達を満足させた。。だから2000年以上経た今でも、聖書の中で引き継がれているのでしょう。私には、5000人の空腹を満たすイエスの親分肌は想像できませんが、信じる気持ちが強ければ可能なことと想います。それだけ心の空腹感を拭い取ることの出来る業。。。無償の愛しかないように感じます。そのときのイエスに出会って見たいものです。
     過去に、某人との体験により、無償の愛があれば悲しみのふちにいる人に勇気と希望を与えることが
    可能なのだーーーという実感を得ました。私はそのとき一人の人との対面でした。でも、こちらが本当に
    親身になって相手の苦労を思いやれば、相手も変わろうとするものです。(その後連絡を頂いていないのではっきりとはいえませんが。。)私が信じていること。コケの一念岩をも通す。
     イエスの念力、波動などなど。。。により、今でも語り継がれているこの奇跡。
    私は信じます。
    人が愛に生きたとき、周りの全てに愛が浸透することを!!ありがとう!
     

  5. Unknown Says:

    手の中のものを手放す勇気が
    必要なこと、私はよくあります。
     
    好きな気持ちも、苦手な気持ちも、
    にぎりしめたら、つぶれてしまうって思います。
     
    誰かにあたったりするのは、気持ちを握りしめているから。
    手放せば、別の解決法をみつけられるって思います。
     
     
     
     
     
     
     
     
     

  6. アポロ Says:

    元気がないときはおなかがすいているだけです。

    何か食べてないと落ち着かないのは、
    こころが飢えているからです。

    過食症の人も、本当はおなかがすいているわけじゃなくて、
    こころが飢えているのですね。


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