Apollo Manroku

2010年以前に書いた記事の過去ログ

体罰 – Ace of Wands 2007年5月16日

Filed under: Tarot Episodes — アポロ @ 00:21

最近の教師は体罰ができないので生徒が言うことを聞かなくて授業にならなくて困っているといったような話をよく聞きます。最近になって体罰を禁止する法律でもできたのかと思ったのですが、ちょっと調べてみると、実はそのような法律ははるか昔、昭和22年にすでに定められていたようです。つまり、私が生まれたころにはすでにその法律はあったわけですが、私の小学・中学時代には体罰は当然のように行われていました。当時の先生たちは平気で違法行為をしていたというわけですね。

考えてみると私は今34歳ですから、小中学生のころというと、20年以上も前のことになりますね。(ああ、そんなに年をとってしまっていたのか……。)その当時と今とでは、法律的には何も変わっていないとは思いますが、世間の体罰に対する受け止め方・考え方がずいぶんと変わってきているということなのでしょうか?

私の中学のころの担任の先生は、常に棒を持ち歩いていました。長さ1メートルくらいで、幅は5センチくらい、厚さは5ミリくらいでしたでしょうか。「精神注入棒」みたいな名前(正確な名前は忘れてしまいましたが)を毛筆で書いてあったような覚えがあります。その先生は書道の達人で、そういうくだらないことまでめちゃくちゃうまい字で書いたりするんですよね。それはともかく、その棒は何のための棒かというと、もちろん生徒を殴るための棒です。体罰のための武器ですね。

もっとも、うちのクラスは体罰が必要なほど荒れていたわけではないのですが、宿題を忘れたとか遅刻をしたとか、テストの点数が悪かったとか、その程度のちょっとしたことで、生徒に対するペナルティとしてその棒で尻を殴るのです。

私は宿題が大の苦手で、まともに宿題をやって学校に行ったことがありません。当然ながら毎日のように棒で叩かれていたのですが、当時からちょっと変わり者だった私は、先生に叩かれてもたいして痛がるわけでもなく、無表情で席に戻ってしまいます。なぜかというと、当時の私の理屈によれば、殴られれば確かに痛みはあるのですが、だからといって泣いたりわめいたりするほどの痛みではないし、叩かれた尻が落ちて病院にでも行かなければならないというわけでもありません。剣道の練習では何度も面や小手を打たれてもっと痛い思いをしているのに、尻を1度や2度ひっぱたかれた程度の痛みが何だというのでしょう。私にとっては体罰とはその程度のもので、それ以上の意味を持たなかったのです。もちろん、先生に対する反抗心を無感情・無抵抗で表していたということもあるでしょう。

ある日、とうとうそんな私の態度に先生もあきれてしまっい、「おまえ、少しは痛いとか何とか言ったらどうだ?」とたしなめました。おまえの態度はまるでロボットだ。もっと人間らしくリアクションしてみろというのです。なぜか意外と素直に「わかりました、やってみます」と答える私。改めて2発目のスイングが尻に命中すると、私は悲鳴を上げ、立っていた教壇の上から転げ落ち、教室の机の間をのたうちまわって一番後ろの席まで吹っ飛んでみせました。先生は、見事な演技だと誉めてくれました。みんなで笑いました。

くだらない話ですが、なぜか今になってもそんなことを思い出します。殴って、わめいて、転げまわって、そして、笑う。今になってみると、人間らしく生きるって、そういうことなのかなと思ったりもします。先生の棒は、毎日少しずつ、私に人間らしい「こころ」を注入してくれていたのかもしれません。

親や教師が子供を脅すような体罰は私も嫌いです。そういった体罰がトラウマとなって、生涯その子を苦しめることだってあるのです。もちろん法律で禁止されているということもありますが、かといって、そんなことに怯えてばかりで生徒に対して何もできないというのも問題があると思います。

教師が生徒を殴るということはどういうことなのか。生徒を殴れば体罰だということで懲戒免職という処分になるかもしれません。しかし、それくらいの覚悟がなければ、子供たちには何も伝わらないでしょう。自分の立場を守ることばかりに必死な教師に、いったい何ができるというのか!

自分の全人生をかけて生徒を諭(さと)すこと。それが、「教諭」という仕事なのでしょう。まさに「聖職」と呼ぶにふさわしい、大変な仕事だと思います。

全国の教職員の皆さん、がんばってくださいね。

 

© 2007 アポロのタロット占い

 

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2 Responses to “体罰 – Ace of Wands”

  1. Unknown Says:

    私が中学生の頃は、悪いことをした生徒がビンタされるのは普通のこととして受け入れられてきました。
    悪いことをした生徒本人からも、その親からも、他の生徒からも、クレームも特になく受け入れられていたように思います。
    「体罰賛成」などという極論を主張する気持ちにはなれませんが、先生が腫れ物に触るようにして子どもを指導しなくてはならないとしたら、先生のことが気の毒でなりません。
    そこに「怖れ」があると、心の通う関係を築くことはできないと思うからです。

  2. JD Says:

    はじめまして。
    私も体罰に対する過敏さ、疑問です。
    問題は取り締まらないと好き放題暴力を振るう教師がいるのかもしれませんが、
    それは身近な教員同士が正すものだと思います。
    大事なのは愛情なんだと思います。
    動物の調教に鞭を使うこともあるでしょうが、そこにはきっと愛も伴うだろうし、著しいダメージも無いでしょう。
    人を動物と同等に扱うのは何戦かとも思いますが、指導には愛情が大事であることに共通項があるように思います。
     
    ゼロか1かの選択肢でしか社会を取り締まれないのは、
    なんだかレベルが低いようでさびしいですね。
     


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