Apollo Manroku

2010年以前に書いた記事の過去ログ

ちょんで区切って、まるで結ぶ。 2008年1月30日

Filed under: #漫録 — アポロ @ 13:18
 

ブログや掲示板の投稿などを見ていると、文の最後に丸(。)を付けない書き込みをよく見かけるようになりました。文末の丸は句点(くてん)と呼びます。文の途中に書く点(、)は読点(とうてん)です。まとめて「句読点(くとうてん)」などと言いますね。

でも、文末に丸がないというのは、なんだか気持ちが悪いと感じました。

なぜ、そういう書き方が増えているのかはよくわかりませんが、普通に小学校で国語を勉強してきた人なら文末に丸を付けるのが決まりだということくらいは知っているはずです。意図的に丸を書かないようにしているとしか思えません。周りでそういう書き方が流行っているから自分もなんとなく真似をしてみたといった感じでしょうか。それとも、丸がない方がカッコイイと思っているのでしょうか。

パソコンで文章を書いているときには、句読点を入力すると自動的に漢字変換されるように設定している人が多いと思うので、そういう人は自然と文末に丸を付けるでしょう。

でも、最近はケータイでブログを書いたりする人も増えてきているので、漢字変換のトリガーとして句読点を使うこともなく、入力する文字は1文字でも少ない方が良いという考え方もあるでしょうから、句読点もできるだけ省略しようと思ってしまうのかもしれません。

もちろん、行末に句読点があると見た目が悪いと感じるような、感覚的な好みによるものもあるでしょう。

最近のブログでは一文が画面の横幅に収まるくらい短くて、文の区切りは改行で表すことも多いので、読点は書いても句点は必要ないと思っている人もいるかもしれません。

あるいは、文章を書いているというよりは、歌の歌詞でも書いているような感覚なのでしょうか。まるで詩人のようだと言えば聞こえは良いのですが……。

一文が短くなってしまうのは、言葉に体力がないからだと思います。あるいは、言葉の肺活量と表現しても良いでしょう。たくさんの言葉を一気に吐き出せるほど息が続かないのです。しかたがないから、短い文章をポツリポツリと書いて、一行ごとに息継ぎをしていくしかないのです。

本当はもっと長く続けた方が良いと、こころのどこかで思っているから句点を書くことをためらってしまうのではないでしょうか。句点を書いて、ここで文を終わりにしますと堂々と宣言するのを恐れて、なんとなく、あいまいに誤魔化してしまいたいという気持ちが無意識に働いているような気がします。改行してここで終わりだけど、まだ終わりたくない、みたいな。

昔の日本語がどのようなものだったかは詳しくは知りませんが、もともと句読点などというものは使われていなかったようです。現代に入ってから使われ始めた新しい文法だったと思います。なので、それほど句読点を付けるか付けないかということにこだわることもないとは思うのですが、私はそれほど古い人間でもなく、現代国語を学び、現代の日本語を読んで育ってきた世代なので、やはり文章には句読点があったほうがよいと感じてしまいます。

文語体で書く形式的で古風で厳格な美しい文章を書くのならともかく、日常会話のような くだけた 口語体で書く文章は言葉の使い方も人それぞれなので、いらぬ誤解を避けるためにも句読点を上手に使って意図的に区切りを明示するのがマナーです。

句読点があったほうが読みやすいし、そういう文章を書くことは、読む人に対する気配りだとか思いやりでもあると思います。そういう配慮の無い文章を書いてしまうのは、書き手の傲慢さをあらわしているようにも思えます。

コンピュータの画面上に表示される文章は、目の不自由な人がスクリーンリーダー(音声で読み上げるソフト)を使って読まれることもあります。そのような場合には特に句読点がないと読み方がおかしくなって意味がわかりにくくなってしまいます。そういう人たちのことも考えて文章を書くことは大切なことです。(=アクセシビリティ

文中に読点は書くのに、文末の句点だけを省くというのも、なんだか締りがなくて気持ちが悪いものです。やはり、文というものは、「ちょんで区切って、まるで結ぶ。」が良いと思います。しっかりと結び目があれば、そこで文の意味を飲み込んで次へ進めます。

世の中ではさらにおかしな現象が起きています。肝心の本文では句点を省いてしまうのに、なぜか記事のタイトル(件名)などに丸を付けることがあるのです。さらには、物や人の名前にまで丸を付けることがあります。「モーニング娘。」などはその走りとも言えるのではないでしょうか。(なぜか、私の日本語変換ソフトのシステム辞書には「モーニング娘。」が句点付きで登録されていました。)

本来はタイトルには句点は付ける必要はなく、本文では句点を付けるべきなのに、奇妙なことに、それが逆転してしまっているのです。

本当は、今の日本人の多くは私と同じように、句点があることで言葉に「締りがある」と感じるのでしょう。タイトルや名前などは締りがあったほうが印象に残りやすいので句点を付けたくなってしまうのかもしれません。

格好が良くてインパクトがあるのはタイトルだけで、中身を見たら、なんだかあいまいな言葉の羅列ばかりで、何を言っているのか良くわからないというような、そういうものが増えているような気がします。

物事に白黒つけるのが苦手な日本人らしい習性だと思うのですが、私はそういうのはあまり好きではありません。

インパクトのあるタイトルだけで誤魔化したりせず、言いたいことは本文でしっかり主張する。そういう文章が好きですね。

ちょんで区切って、まるで結ぶ

言葉に力のある文章というのは、そうやって生まれるものです。

もちろん、いつも力んでばかりでは疲れてしまうので、たまには結び目をほどいてリラックスするのも良いですけどね。

タロットにもちょんまるはありますよ。

ちょんは、大アルカナの要ともいえる「ⅩⅠ 正義」。区切るための剣を持ってますね。

まるは、最後の「ⅩⅩⅠ 世界」です。丸い輪で囲んで、しっかりと締めています。

愚者」は何ものにも縛られない自由人。ゆえに、句読点のないカオスな文章を示すカードといってもよいでしょう。

 

 

© 2008 アポロのタロット占い

 

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3 Responses to “ちょんで区切って、まるで結ぶ。”

  1. アポロ Says:

    さきんこさん、コメントありがとうございます。
    名前の入力については私も良くわかりません。Windows Live を普段から利用していてプロフィールなどを登録している人の場合は、自動的に名前が入力されていると思うのですが、IDを登録したばかりの人にはわかりづらいかもしれませんね。
    遊び心で文章の書き方を崩すのはかまわないと思います。絵文字にあふれかえった携帯メールなんてのは、もはや日本語といえるかどうかも疑問ですが、時と場合によってはそういうコミュニケーションのしかたも悪くはありません。
    ただ、不特定多数の人が読むことになるブログなどでは、できるだけ正しい日本語を使って、読んでくれる人に不快な思いをさせないよう心がけたいですよね。
     
    もし、↑のコメントを句読点抜きで書いたとしたら……
     
    遊び心で文章の書き方を崩すのはかまわないと思います絵文字にあふれかえった携帯メールなんてのはもはや日本語といえるかどうかも疑問ですが時と場合によってはそういうコミュニケーションのしかたも悪くはありませんただ不特定多数の人が読むことになるブログなどではできるだけ正しい日本語を使って読んでくれる人に不快な思いをさせないよう心がけたいですよね
    と、こんな感じ。
    文学をやる人の中には時々こういう実験的な書き方をする人もいるみたいですが、素人が真似するようなものじゃないですよね。

  2. 俊史 Says:

    さっき投稿した記事、(名前なし)ってなってしまいました・・・。「さきんこ」と申します。名前なし投稿してごめんなさい。名前はどこに入力するのでしょうかね?

  3. 俊史 Says:

    はじめて書き込みします!ちょんで区切って、まるで結ぶっていうのはほんとに基本的な日本語のルールですもんね。正しい使い方を知っている上で、遊び心であえて崩して書いたりすることはあるでしょうが、自己表現の手段として使うのは「正しい日本語」であることがカッコイイと、改めて思いました。私は自分のブログで、わざと変な文体や言葉を使うのですが、ほどほどにしようっと。またきます!


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