Apollo Manroku

2010年以前に書いた記事の過去ログ

学びて思わざれば即ち 2008年3月7日

Filed under: #漫録 — アポロ @ 23:57

太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」というテレビ番組(このタイトルにも句点が付いてますね)を時々見ています。先ほどもテリー伊藤さんが「インターネットの利用は1日1時間までとします」などというマニフェストを提示して議論をしていました。

こんなマニフェストが実現されるわけがないということくらいは本人たちもわかっていたとは思います。それでもあえて議論してみるところが面白いですね。こういう考え方を「ありえない」として完全に排除してしまうことこそがテリー伊藤さんの言う「妄想力」の欠如につながってくるのだと思います。現実には「ありえない」かもしれない。でも、そういうことを考えてみることは大切なことです。

インターネットをしていると、わからないことがあっても検索によってすぐに答えを見つけることができてしまいます。そのため、「妄想力」だとか「想像力」といったようなものが失われてしまうのだというのが彼らの主張の中にありました。

それも一理あるかもしれません。ただ、今回のマニフェストの重要なポイントは、インターネットばかりしていないで、もっといろんなことをしたほうがいいだろうということだったと思います。そういう観点から「妄想力」ということについて考えてみると、インターネットのしすぎで「妄想力」という能力が失われるのではなく、「妄想に費やすための時間が失われる」という表現の方が適切だと思います。

中国の思想家、孔子の有名な言葉がまさにそれを示しています。

子曰わく、
学びて思わざれば則ち罔(くら)く、
思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。

インターネットで知識ばかりをいくら得ること(学び)ができても、妄想や想像のためにも時間が費やされなければ(思わざれば)真に活きた学問とはならないということです。

そして、その逆もしかり。

テリー伊藤さんの意見に賛成する人たちの中には、実際にインターネットなどまったく使わないというような人もいました。実際にインターネットがどういうものなのか、それをきちんと理解してもいないのに議論しようとしている人たちは、妄想ばかりしていて学ぶことをおろそかにしているということになります。すなわち、「思いて学ばざれば則ち殆し」な人たちなのです。彼らに議論する資格などありません。

反対する人も賛成する人も、まずはインターネットを実際に体験し、それについてよく理解した上で議論をすべきなのです。

議論が終わったら、一人になって(ひきこもって)ゆっくりと考える時間も作りましょう。そして、思惟(妄想)にふける。その妄想をブログなどに書いてみるのもいいでしょう。ブログなどに自分の「思い」を書く時間はとても有意義です。1時間などと言わず、いくらでも費やせばいいでしょう。

学び、思う。思い、学ぶ。この繰り返しのプロセスこそが大切なのだと思います。

 

© 2008 アポロのタロット占い

 

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