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公園に行ってみるとケイさんとパバティさんがいたので、ちょっと立ち寄ってみました。ケイさんは今、本を読んでいるとかで、その内容について話してくれました。占い師である私にも役に立つ内容だろうということです。
本のタイトルは「囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論」です。
あとからイナヤさんも来て会話に加わったのですが、私たちが囚人のジレンマの話をしていると、映画好きのイナヤさんは、それと同じようなエピソードが「ダークナイト」(バットマンの最新作)という映画の中に出てきたと言います。私も面白そうだと思ったので、さっそくツタヤに行ってDVDを借りてきました。
さて、映画の内容ですが、主役バットマンと敵役ジョーカーの対決がメインになっています。今回の映画ではジョーカーが主役と言ってもいいほどで、その演技はすばらしく、まさに「狂人」そのもの。最初から最後まで暴れに暴れまくります。
とにかく狂ったジョーカーは、ガソリンや火薬を使って何でもかんでも爆破しまくります。そして、終盤のクライマックスで、ついに、「囚人のジレンマ……」に書かれているようなエピソードが挿入されます。
そこには二隻のフェリーが登場します。ジョーカーはそのフェリーに爆弾の罠を仕掛け、その起爆装置をそれぞれのフェリーの乗客に渡します。一方の起爆装置はもう一方のフェリーを爆破するものとなっており、十二時までにそのスイッチを入れないと、フェリーは二隻とも爆破されてしまいます。ただし、どちらかのフェリーの乗客が起爆装置のスイッチを入れて別のフェリーを爆破すれば、残ったフェリーは十二時になっても爆破しないというのがジョーカーの示す条件でした。
一方のフェリーにはゴッサムシティーの囚人たちが乗せられており、もう一方には一般の市民が乗っています。囚人たちは自分たちさえ助かればいいと考えるので、すぐにでもスイッチを押してもおかしくありません。一般市民の方も助かるのは囚人ではなく自分たちだと考えるので、スイッチを押してもおかしくないわけです。
はたしてその結果は……。さすがに、これだけはここに書くわけにはいきませんね。ただ、それは「人の良心」というものを問うものだったとだけ言っておきます。
この映画には、ジョーカーとの対決の他に、もう一つ重要なテーマがあります。地方検事のハービー・デントとの対決です。対決というか、お互いを認め合うライバルのような感じでしたね。
ハービーは検事として、法に従った正しいやり方で犯罪者たちを検挙してゆきます。それに対してバットマンは法の枠を超えた強引なやり方で、力ずくで犯罪者たちを追い詰めています。ハービーが表舞台に立つ「正義のヒーロー」ならば、バットマンは裏の世界で暗躍する「暗黒の騎士(ダークナイト)」というわけです。
私も今まではバットマンのことを単純に「ヒーロー」だと考えていましたが、この映画を見て、よくよく考えてみると、確かに、彼のことは「ヒーロー」とは言えないような気もしてきました。
バットマンは自らの信念のために戦っています。しかし、彼の行為は法を犯すものでもあり、市民の中には反感を持つものもいます。悪を討つためにはやむをえないこととはいえ、やはり、彼の行為を「正義」として全面的に許容するわけにはいかないかもしれません。
彼は孤独でした。たった一人で悪と戦い、世間からも非難され、その上、(片想いの)恋人のレイチェルからも見放されてしまいます。彼がバットマンである限り、レイチェルは彼を受け入れることができなかったのです。
バットマン……というより、その正体であるブルース・ウェインは自らも悩みます。バットマンのやっていることは間違っている。ハービーこそ、人々が求める真のヒーローだと考え、バットマンの仮面を脱ごうとします。バットマンの仮面を脱ぎ去れば、レイチェルも自分を「普通の人」として受け入れてくれると考えたことでしょう。
しかし、レイチェルが最後に選んだのはハービーでした。(ブルースはそのことは知りません。)
結局、彼はバットマンの仮面を脱ぐことができず、人殺しの罪を背負って追われる身となり、ゴッサムの闇の中へ消えてゆきます。
エンディングの後は、なんだか、救いようのない、とても悲しい気分になってしまいました。
ただ、世間の人はどう思うかわかりませんが、私はこのバットマンに深く共感しました。私もまた、「タロット占い師のアポロ」という仮面をかぶって、日々戦い続けているからです。そして、その仮面ゆえに、孤独でした。
「占い師」という職業は世間からは認められにくく、私は、自分の親からさえも認められていません。一般社会においてもそうですが、仮想世界のセカンドライフのような社会の中でも誤解されたり偏見の目で見られることはたびたびあります。
かといって、同業者同士でうまくやっているかといえばそうでもなく、お互いの信念の相違などからトラブルに発展することも頻繁にあります。私も頑固者なので、どこへ行ってもつまはじき者にされることが多く、いつも「一人」で戦わなければなりません。
想いを寄せる恋人に受け入れてもらいたくて「アポロ」の仮面を脱ごうとしたこともあります。私は、彼女にすら「占い師」という目で見られていることが辛かったのです。
それでも、結局は、私は「タロット占い師のアポロ」であり続けました。これからも、ずっと「アポロ」の仮面をかぶり続けることでしょう。
私には、私なりの信念がある。バットマンがそうであったように、たとえどんなに孤独であろうとも、私もそれを貫き通さなければならないのです。そういう意味では、私はこの映画に、大いに勇気付けられたと言ってもいいかもしれません。
「ダークナイト」は娯楽作品としても最高の出来ですが、いろいろと考えさせられるところも多く、私にとっては心に残るすばらしい映画でした。
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